普通
好きの基準が随分可愛いかったり
それ以外の判断も客観視してみて
異常かと思うことが有ります
多分深層心理的に普通で在ること
が絶対に嫌だとの強い念とも言える
ものが今も有るからだと思います
思春期時代の私は普通で在ること
は何の取り柄も無い出来ることが
何一つ無い自分への他人の批判だ
とずっと思い込んでいました
自分がいじめられたり嫌われたり
する理由がそうで在ることだと
卑下することを長く続けていた
過去が有りました
果たして今その普通で在りたく
は無いことへの拘りがどれ程
残っているかは正直分かりません
ただ何も持たなくても例え何者で
無くても一生懸命に日々を生きて
いる殆どの方々を素晴らしいと
思えるようにはなりました
私自身も気が付いてそれが嫌な
ことなら軌道修正することは
可能です
ありのままの自分を先ずは受け
止める
それがスタートラインです
私が私で在るために